189年にセプティミウス・セウェルス帝とユリア・ドムナ妃の間に生まれたゲタは、一歳年上の兄であるカラカラに次ぐ地位を与えられ、211年に父帝が崩御すると兄の共同統治帝として即位しました。
しかし兄との関係は即位前から非常に悪く、即位後も反目し続けていました。共に帝位に就いてからわずか数ヶ月で兄弟は半ば絶縁状態となり、互いの毒殺や帝国の分割までも目論まれるようになりました。兄弟間の対立に心を痛めた母ユリア・ドムナは仲介を試みますが、その席でカラカラは刺客を差し向けて弟を殺害しました。
ゲタの最期 (ジャック=オーギュスタン=カトリーヌ・パジュー作) 母親に抱かれながら息絶えたゲタは、わずか10ヶ月の帝位を終え、その後は兄カラカラ帝による記録の抹消が断行されました。歴史家カッシウス・ディオの記述によれば、カラカラ帝はゲタの支持者と見做した人々を悉く粛清、さらに弟の彫像を次々に破壊し、それを支えていた土台の石にすら怒りをぶつけたとされます。碑文や壁画からもゲタの名や肖像が削除され、ゲタの肖像が刻まれた貨幣さえも回収し、それらをすっかり鋳潰してしまったと伝えています。