ボリス3世 (在位:1918年~1943年) ボリス3世は王妃がイタリア王女だったこともあり親イタリア・親ドイツの傾向が強く、1935年から国王独裁制を開始した後は枢軸国寄りの外交を展開した。日独伊三国同盟へ参加し、周辺のトラキアやマケドニアを占領して「大ブルガリア」の統一を実現するなどしたが、ユダヤ人の国外強制収容所への移送やブルガリア軍の他方面戦線への派兵などは最後まで非協力的だった。そのため1943年8月、アドルフ・ヒトラーとの会談の2週間後に急死した際には、ドイツによって暗殺されたのではないかという疑惑を持たれた。
ボリス3世は個人的には大人しく、物静かで落ち着いた人物だったとされている。また熱心な鉄道マニアとしても知られ、ブルガリア領内を走行するオリエント急行の運転室に半ば強引に乗り込み、自らハンドルを握って運転したこともあったという。