1894年当時のブルガリアは名目上オスマン帝国の自治公国であり、フェルディナンド1世の肩書は「ブルガリア公」(在位:1887年~1908年)。1908年にはトルコからの完全独立に伴い「王国」に昇格したことで「国王(=ツァーリ)」(在位:1908年~1918年)となる。
オスマン=トルコ帝国の宗主権下で建国されたブルガリア公国は、ロシア帝国の支援によって成立したこともあってロシアの影響力が強く、その地位や領域は欧州列強間の火種となった。1908年、トルコでの政変による混乱に乗じて正式な独立を宣言し、ブルガリアは自治公国から王国に昇格した。
ブルガリア自治公国と周辺国 (1899年 黄色が当時のブルガリア) ザクセン=コーブルク=ゴータ家出身のフェルディナンドはブルガリアを支援していたロシアと距離を置き、ドイツやオーストリアへの接近を図った。従来ブルガリアのコインはロシアのサンクトペテルブルク造幣局で製造されていたが、この銀貨をはじめ、フェルディナンド治世下のコインはオーストリアのクレムニッツ造幣局(現在のスロヴァキア、クレムニカ)で製造されている。自治公国時代に発行されたブルガリアの5レヴァ銀貨は、トルコよりも大陸ヨーロッパ諸国との経済関係を重視したため、フランスやベルギーなどの5フラン銀貨とほぼ同じ規格(ラテン通貨同盟)で製造されている。
裏面のリース部分に表現されているバラの花はブルガリアの国花。バラは古来よりブルガリアの名産品であり、上質なバラ香料の原料として世界中に輸出されている。