コインの表面には王朝の始祖であるプトレマイオス1世ソーテールの横顔肖像、裏面には大鷲像が表現されている。プトレマイオス12世の治世下に首都アレクサンドリアで造られ、鷲の左側に配された「L Θ」銘は治世9年目(=紀元前73年~紀元前72年)を示している。左右には発行者を示す「(ΠΤΟΛΕ)ΜΑΙΟΥ ΒΑΣΙΛΕΩΣ (=プトレマイオス王)」銘が配されている。
プトレマイオス12世は政治に無関心であり、毎日酒宴を催して享楽に耽った暗君として伝えられている。自らを快楽と酩酊の神に准えてネオ・ディオニソス(=新ディオニソス)と称したが、民衆からはアウレテス(=笛吹き王)とあだ名された。
プトレマイオス12世の治世でエジプトはローマへの経済的依存度を高め、財政難から増税に繋がったため民衆は不満を募らせた。現存する銀貨からは、治世が経るごとに銀純度が下げられていった事実が分かっている。
プトレマイオス12世"アウレテス"の頭像 (ルーヴル美術館)
紀元前58年、アレクサンドリア市民の反乱によってプトレマイオス12世はローマへ亡命。エジプトの税年収の半分と引き換えに元老院に支援を求め、ローマ軍の後ろ盾を得てエジプトに帰国した。復位したプトレマイオス12世は饗宴で女装して笛を奏で、ローマ人を財務大臣に任ずるなど、ますます奇行をエスカレートさせた。紀元前51年に没する前、後継として息子のプトレマイオスと娘クレオパトラの共同統治を指示した。この娘が古代エジプト最後の女王として知られるクレオパトラ7世であり、弟のプトレマイオス13世を退けた後はエジプトの独立を護るために尽力するも、ローマとの戦いに敗れプトレマイオス朝は滅亡した。