裏面には息子ティトゥスの横顔肖像が打ち出されています。表面の父親とよく似た顔つきであり、親子の血縁関係性を示しています。顎下に配された「B」銘は父帝ウェスパシアヌスの治世二年目に製造されたことを示しています。 副帝(CAESAR)に任じられたティトゥスは父帝ウェスパシアヌスをよく補佐し、特に軍事面で優れた指導力を発揮したと伝えられています。皇帝即位後は人徳を重視した政治を行い、治世最初期に発生したヴェスヴィオ火山の噴火に際しては迅速な復興を指揮しました。 治世はわずか2年と短命でしたが、その間の統治は後世からも讃えられることになります。18世紀にポンペイ遺跡を見学したモーツァルトは古代ローマとティトゥスに関心を寄せ、彼の伝記に基づいたオペラ『皇帝ティートの慈悲』を作曲しました。ナポレオンの時代には「La coiffure à la Titus」と呼ばれるティトゥスの髪型を真似た短髪が社交界の女性たちに流行しました。