3世紀初頭、セウェルス朝時代の古代ローマ帝国で発行されたアントニニアヌス銀貨。カラカラ帝の治世下に発行が開始されたアントニニアヌス貨は、名目上デナリウス銀貨2枚の価値に相当するとされました。エラガバルス帝の治世下では即位初年~二年目の夏頃にかけて造られ、その後は発行されなかったとみられています。
表面には光の冠を戴く
エラガバルス帝 (ヘリオガバルス帝, 在位:AD218-AD222)の横顔肖像が打ち出されています。「エラガバルス」や「ヘリオガバルス」という名は、シリアの司祭長であった皇帝が信仰していた東方の太陽神に由来する渾名です。実際には偉大なる五賢帝にあやかって「マルクス・アウレリウス・アントニヌス・ピウス帝」と名乗っていました。
わずか14歳で即位した少年皇帝は、その恭しい帝号に反して艶聞が多く、派手と贅沢を愛した人物として記録されています。ローマの宮廷では豪華な宴会が頻繁に催され、妖しげな男女が出入りするようになりました。ある時には趣向として高級なバラの花を大量に宴会場にばら撒き、出席者を圧死させたという伝説まで生まれました。
エラガバルス帝の短い治世下、ローマにはありとあらゆる性的趣向や悪癖がはびこり、風紀は大いに乱れたと云われています。またこの少年皇帝には女装趣味があるだけでなく、医師に相談して性転換の方法を検討させていたとも伝えられています。「卑しき身分の男性を自らの『夫』にしていた」「自ら娼婦としてローマ市内の娼館に通っていた」など、真偽も判然としない噂は多く記録されていますが、少なくともこの少年皇帝の評価が当時から低かったことは間違いないようです。