紀元前1世紀半ばのパルティア王国で発行されたドラクマ銀貨。アルサケス朝の夏の宮廷が置かれた都市エクバタナ(*現在のイラン東部,ハマダーン)で造られました。
パルティアは現在の中央アジア~イラン~イラクに至る広大な地域を支配した大国であり、しばしばアルメニアやメソポタミアなどを巡ってローマと対決しました。古代オリエントの強大国でしたが、国内はいくつかの従属国からなっており、その文化は遊牧民的要素とギリシャ的要素を組み合わせたヘレニズム様式でした。
パルティアは中国とローマを結ぶ東西交易路「シルクロード」の重要な通過点として4世紀以上にわたって繁栄し、経済活動の活発化で多くのコインを発行しました。しかし国内の内乱やローマとの戦争によって国力は衰退し、やがてイラン高原に興ったササン朝によって滅ぼされました。パルティアの遺跡や芸術などの遺産は比較的少なく、現存しているものを目にすることは容易ではありません。最も多く残されたコインは、当時の繁栄と歴史を今に伝えています。
パルティア時代の神殿『ハトラ遺跡』 (イラク) ※パルティアの要衝として繁栄した、メソポタミア地方の古代都市遺跡。当時よりローマ軍の攻撃を受けていたが、近年はイラク戦争やIS(イスラム国)による占領などでさらに破壊され、現在は「世界危機遺産」に登録されている。
コインの表面には、ダイアデム(王権を示す帯)を巻いた
オロデス2世(在位:BC57-BC36)の横顔肖像が打ち出されています。左上には輝く星(または太陽)、右上には三日月が配されているのが確認できます。
オロデス2世は親兄弟との権力闘争を経て王位を獲得し、20年にわたってパルティアを統治しました。治世中には領内に侵攻したローマ軍と戦い、三頭政治の一翼を担ったクラッススを敗死させたことでも知られます。
ローマ有数の大富豪だったクラッススは捕虜となった際、パルティア兵によって溶かした金を口に注がれて殺されたと云われ、その首はオロデス2世に献上され演劇の小道具に供されたと伝えられています。
裏面には、弓を手にした射手の坐像が表現されています。
この射手像はアルサケス朝の始祖であるアルサケス1世とされています。周囲部には「ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΒΑΣΙΛΕΩΝ ΑΡΣΑΚΟΥ ΕΥΕΡΓΕΤΟΥ ΔΙΚΑΙΟΥ ΕΠΙΦΑΝΟΥΣ ΦΙΛΕΛΛΗΝΟΣ (=諸王の王アルサケス 正義をなす善人 栄光に輝くギリシャの友)」銘が刻まれています。この銘文からも、遊牧民出身のアルサケス朝がギリシャ文化を尊重していたことが分かります。