14世紀のセルビアは銀や鉄、鉛などの鉱山開発が進み、バルカン半島における通商路の要衝として発展しました。
1331年に王位に就いたステファン・ドゥシャン(=ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン)は軍事力を強化し、周辺域のボスニアやアルバニア、マケドニアやテッサリアなどを征服し王国の版図を拡大させました。またブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アレクサンダルの姉妹ヘレナを妃とし、ブルガリアとの友好関係を背景に権威を確立させました。1345年には「セルビア人とローマ人(=ギリシャ人)の皇帝」を称してセルビア総主教座を創設、翌年には首都スコピエ(現在の北マケドニア)で盛大な戴冠式を挙行しました。
『東ローマ皇帝として戴冠するステファン・ドゥシャン』 (アルフォンス・ミュシャ『スラブ叙事詩』1926年)
ステファン・ドゥシャンの治世はセルビア史上の最盛期とされ、ブルガリアやビザンチン(東ローマ)帝国と並ぶ強国に成長した時代でした。1349年にはローマ法と慣習法を融合させた「ドゥシャン法典」を制定、さらに各地に修道院や教会を建立し、そこで描かれたフレスコ画や聖人伝など独自の芸術・文学が発展しました。
1355年にビザンチン帝国へ進撃する途上でステファン・ドゥシャンが没すると、皇妃へレナが実権を握り息子ステファン・ウロシュ5世の後見となりました。しかし求心力を失ったセルビア帝国は分裂状態となり、皇帝ステファン・ウロシュ5世が没した1371年に消滅しました。