マルクス・アウレリウス帝治世下の古代ローマ帝国で発行されたデナリウス銀貨。表面には、皇妃
ファウスティナの横顔肖像が打ち出されています。
小ファウスティナはアントニヌス・ピウス帝とファウスティナ妃(※同名の母娘は大小や1世2世をつけて区別される)の娘として生まれ、後の皇帝マルクス・アウレリウスの妃となりました。その後の皇帝コンモドゥスの母親でもあり、父・夫・息子を皇帝に持つ高貴な皇女でした。しかし歴史家たちの筆によれば、彼女は美貌の持ち主であると共に大変な浮気性で、色恋沙汰による艶聞が多かったとされています。エドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史』には、哲人皇帝と称された生真面目なマルクス・アウレリウスが、恋多きファウスティナのあふれる情熱を抑えることは所詮無理だったと綴られています。後に剣闘士に憧れ、「ローマのヘラクレス」を自称した息子コンモドゥスはマルクス・アウレリウス帝の実子ではなく、ファウスティナと剣闘士との不義密通によって生まれたという噂が流布されました。
しかし、マルクス・アウレリウス帝の寛容さとファウスティナ妃の素直さによって夫婦仲は大変良く、三十年に及ぶ夫婦生活の間に13人の子に恵まれました。(コンモドゥスの双子の兄弟アントニヌスはじめ、その多くは幼くして病死)
AD175年にファウスティナ妃が崩御すると、夫マルクス・アウレリウスは妻を神格化するよう元老院に要請し、神殿に祀られました。マルクス・アウレリウスは自著『自省録』の中で妻の貞潔さと温良、誠実を讃え、女神として神格化された後はローマの若き男女が結婚する際、ファウスティナの祭壇前で愛の誓いを立てるよう法で定めました。このことから実際のファウスティナは、歴史家の筆による奔放で恋多き女性ではなく、貞潔な淑女だった可能性もあります。
裏面には女王神
ジュノー(ユノー)像が表現されています。長衣を纏い、左手で細長い王笏を携える威厳にあふれた姿です。傍らには女神の聖鳥である
孔雀を従えています。
ジュノーは最高位の女神であり、多くの女神達を従える姿で表現されてます。時には王笏を手にし、自らの聖鳥である「孔雀」を引き連れた堂々たる姿で表現されることもあります。こうした力強いジュノーの姿と権威は、社会的地位の低かった現実の古代ローマ社会の女性達にとって心強い味方でもありました。6月はジュノー女神の月とされ、英名の「June」は女神の名前に由来しています。この月に結婚式を挙げた花嫁はジュノー女神の加護を受けられるとして、現在にも続く「ジューンブライド(六月の花嫁)」伝説が生まれたのです。
天上のジュノー女神 豪華な御車に乗り、二羽の孔雀に引かせた姿。先導役を務めるのは月の女神ルナ。