ユリア・ソエミアスはエラガバルス帝(ヘリオガバルス)の母親であり、息子の即位に際して皇太后となりました。
エラガバルス帝は14歳という若さで皇帝に即位しました。彼はもともとシリアの太陽神エル・ガバルの神殿で司祭長を務めており、後世につけられた皇帝名はそこに由来しています。在位中は偉大なる五賢帝と同じく「マルクス・アウレリウス・アントニヌス・ピウス帝」と名乗っていました。
即位後はエル・ガバル神を最高神として崇めた他、豪奢な宮廷生活と異常なまでに乱れた性生活が噂されたため、ローマ市民と軍の支持を失いました。
わずか14歳で即位した少年皇帝は、その恭しい帝号に反して艶聞が多く、派手と贅沢を愛した人物として記録されています。ローマの宮廷では豪華な宴会が頻繁に催され、妖しげな男女が出入りするようになりました。趣向として高級なバラの花を大量に宴会場にばら撒き、出席者を圧死させたという伝説まで生まれたほどでした。
「暴君」というよりも「変人」と云われる逸話の多いエラガバルス帝はローマ帝国史上、最も奇怪で風変わりな皇帝として歴史に名を残しました。若き彼の治世は即位から4年後、暗殺という形で幕を閉じたのです。
ユリア・ソエミアス自身も息子エラガバルスが兵士らに捕えられた際、共に殺害されてテヴェレ川に投げ捨てられたと伝えられています。