ルキウス・ウェルス(在位:AD161-AD169)はマルクス・アウレリウス・アントニヌスの共治帝で義弟。パルティア戦争やパンノニア遠征にあたってはローマに留まった義兄に代わって軍を率いて活躍しました。他方で享楽的、楽天的な性格からマルクス・アウレリウス帝とそりが合わない面もあったとも伝えられています。
後世から「哲人皇帝」として知られるマルクス・アウレリウスは、その著書『自省録』でも綴られている様にとても思慮深く、禁欲的で物静かな性格でした。一方、ルキウス・ウェルスは享楽的で酒や女遊びを好み、仲間と羽目を外すことが多い人物だったと云われています。
マルクス・アウレリウス帝 & ルキウス・ウェルス帝 ルキウス・ウェルスの父ケイオニウスは、ハドリアヌス帝から後継者に指名されていましたが、病気のため即位する前に没しました。ルキウス・ウェルスはマルクス・アウレリウスと共にアントニヌス・ピウス帝の養子となり、将来的な後継者と目されました。
アントニヌス・ピウス帝が崩御し、マルクス・アウレリウスが新皇帝として即位する際、マルクスは義弟のルキウスを「共同統治帝」として共に即位できるよう、元老院に要請しました。皇帝が同時に二人並立することは前例が無く、全く異例のことでしたが、マルクスはルキウスに外征・軍事面を任せ、自らは内政に集中することで巨大なローマ帝国を効率的に統治しようと考えたようです。
二人の兄弟皇帝は性格的には合致しない面がありましたが、ルキウスは兄マルクスの指示に従って補佐し、マルクスも弟ルキウスの振る舞いを大目に見たと云われています。