• ビザンチン帝国 ヒスタメノン・ノミスマ金貨 ロマノス4世ディオゲネス一家
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 ロマノス4世ディオゲネスはドゥーカス朝の皇帝であり、皇妃エウドキア・マクレンボリティサは先帝コンスタンティノス10世の妃だったが夫の没後に再婚し、ロマノスを帝位に就けた。

 1071年8月26日、マラズギルトの戦いにおいてロマノス4世はセルジューク朝に敗れ、敵軍の捕虜となった。ローマ皇帝が捕虜となったのは3世紀半ばの軍人皇帝ウァレリアヌス以来であり、この敗北によってアナトリアはトルコ人の版図となった。
 捕虜となったロマノス4世に接見したセルジューク朝のスルタン アルプ・アルスラーンは「もしも現在の立場が逆だったら貴殿はどうするか」と問いかけ、ロマノスは「晒した後に処刑するだろう」と答えた。アルプ・アルスラーンは「私が下す処罰はそれより厳しい」と返し、ロマノスを解放して首都コンスタンティノポリスに送り返した。帰国すると既に皇妃エウドキアが夫を廃位し、先帝との息子ミカエルを新たな皇帝(*ミカエル7世ドゥーカス)に就けていた。ロマノスはこれを認めなかったため捕らえられ、目をつぶされた上でマルマラ海のプロティ島(クナル島)に追放、翌年失意のうちに没した。


 

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