ウァレリアヌス帝(在位:AD253年~AD260年)はペルシア軍との戦いの最中、敵軍の捕虜になったローマ皇帝としてその名を知られています。
当時、ローマ帝国の東方国境を脅かしていたササン朝ペルシア軍に対応するため、皇帝ウァレリアヌスはローマ軍を率いて東方へ遠征します。しかしペルシア王
シャープール1世の軍勢に圧され続けた末、エデッサ市内に追い込まれて包囲されてしまいます。
シャープール王は皇帝ウァレリアヌスとの直接会見を要求し、交渉による事態の打開をほのめかしました。しかし、実際にはペルシア側の罠であり、少数の従者だけを引き連れて現われたウァレリアヌス帝はそのまま捕えられてしまいました。
ペルシア軍の勝利に終わった戦いの後、ウァレリアヌス帝はローマへ帰されることなく、そのままぺルシアへ連行されたと伝えられています。その後の処遇は定かではなく、様々な憶測が当時から飛び交っていました。最も有名なものでは、ウァレリアヌスはシャープール王の奴隷にされ、王が馬に乗る時には踏み台として使ったという伝承や、死後は剥製にされ、戦勝記念として神殿に奉納された、とも云われています。
ナグジェ・ロムスタ遺跡のレリーフ 実際、囚われたウァレリアヌスがどのような末路を辿ったのかは判然としていませんが、ローマ史では帝国史上最も屈辱的な事件として、ペルシア側では大王シャープールの偉大な勝利として記録されることになりました。
この事件はローマ帝国の衰亡を象徴するものとして、日本でも高校世界史などで取り上げられています。また、イラン南部に現存するササン朝時代の岩窟遺跡ナグシェ・ロスタムには、皇帝ウァレリアヌスを捕えるシャープール1世の騎馬像が彫刻されています。