オーストリアとの戦いに連戦連勝し、イタリア半島からオーストリアの勢力を駆逐したフランス軍は、イタリア解放を掲げて各地に親仏政権を樹立していった。1805年にはイタリア北部の旧オーストリア領を再編し「イタリア王国」を建国した。
その国名とは異なり領域はロンバルディアやヴェネツィアなど、イタリア半島の北東部に限られ、首都はミラノに置かれた。国王はフランス皇帝ナポレオンが兼任し、国王の代理(副王)として妻ジョゼフィーヌの息子ウジェーヌ・ド・ボアルネが派遣された。
イタリア王としてのナポレオン (アンドレア・アッピアーニ, 1805年)
フランスの衛星国として建国されたイタリア王国は、ナポレオンのロシア遠征が失敗した1814年に政情不安定となり、ミラノ市民の暴動によって当時の財務大臣が殺害されるなど騒乱状態に陥った。フランス帝国の崩壊と共に王国は維持されなくなり、その領域は再びオーストリア領へと戻された。
コインは当時のフランスで発行されていたものと同じ規格で製造されており、フランス・フランとイタリア・リラが等価に設定されていたことが分かる。コインのナポレオンはフランスコインの肖像より丸くふくよかであり、イタリアのミラノ造幣局で彫刻されたものである。周囲部には「
NAPOLEONE IMPERATORE E RE (ナポレオーネ 皇帝にして王)」銘が配されている。裏面には、およそ10年間だけ存在したイタリア王国の華麗な国章が表現されている。
エッジ(縁)には陰刻によって「
DIO PROTEGGE L'ITALIA (神はイタリアを護る)」銘が配されている。同様の銘文はフランス金貨のエッジ部分にも刻まれている。