紀元前1世紀、共和政時代の古代ローマで発行されたデナリウス銀貨。
表面には、ローマ建国神話に登場する
タティウス王が表現されています。ローマ建国期、近隣部族のサビニ人の王であったティトゥス・タティウスは、ローマの建国者ロムルスと戦った後に和解を果たし、ロムルスと共にローマの共同統治王になった人物とされます。肖像の左側には、サビニを示す「SABIN」銘が確認できます。
裏面には、ローマ建国神話に登場する
巫女タルペーイアが、サビニ兵士が投げつける盾によって圧殺されている場面が表現されています。上部には三日月と星が配されています。
タルペーイアはもともとタルペイウス族の祖神、または断崖の岩を守る女神と考えられています。しかし時代が経ると共にその意味は変化し、サビニ族との戦争時にローマを裏切って殺害された巫女の名とされました。
ローマが建国されて暫く後、近隣のサビニ族とローマとの戦争が始まりました。ローマ軍が守っていた砦は守りが堅く、サビニ族の王ティトゥス・タティウスは強固な守備を突破する為、密かに内通者を探していました。そこに、ローマの巫女であったタルペーイアが現われ、タティウス王の「腕につけているもの」を見返りとして要求し、サビニ族の軍勢を砦に手引きしたのです。
砦の占領後、タルペーイアは約束どおり、「腕につけているもの=金・宝石でできた腕輪や指輪」を渡すようタティウス王に要求しましたが、王は指輪や腕輪と共に、腕につけていた重い防御盾を彼女に投げつけました。すると他のサビニ族の兵士達も、持っていた円盾をタルペーイアに一斉に投げつけ、彼女はその重みで圧死したと云われています。
盾に押し潰されるタルペーイア その後、タルペーイアが埋葬された砦の崖近くは「タルペーイアの岩場」と呼ばれ、罪人の処刑(=崖からの突き落とし)が行われるようになったということです。