紀元前2世紀のセレウコス朝シリアで発行された大型青銅貨。同時代のプトレマイオス朝エジプトで発行されていた大型青銅貨を真似て造られている。このコインはセレウコス朝によるエジプト侵攻(BC170年~BC168年)に際して発行されたものとみられている。この軍事行動によってユダヤなどをエジプトから奪ったセレウコス朝は、占領地で新しい王の名を刻んだコインを早々に流通させる狙いがあったと考えられる。
発行者である
アンティオコス4世(在位:BC175年~BC164年)は自らを「エピファネス(=現神王、現人神)」と称し、コインにも「ΕΠΙΦΑΝΟΥΣ」銘の称号を用いている。
アンティオコス4世は積極的な対外政策によってプトレマイオス朝エジプトへ進軍し、首都アレクサンドリアを包囲するなどの成功をみせた。ローマやエジプト、パルティアなど周辺の大国との外交を成功させる明晰を見せる一方で、宴席で裸踊りをはじめるなど、狂気に近い振る舞いを見せる一面があったとされる。
BC167年には自らを神として崇めることを拒否したユダヤ人を弾圧したため、大規模なユダヤ反乱(=マカバイ戦争)にまで発展した。ユダヤ人たちはエピファネスの称号を拒否し、アンティオコス4世をエピマネス(=狂人王)と呼び抵抗したが、アンティオコスの軍はイェルサレムの神殿を略奪・破壊し、代わってゼウス神を祀るよう命じた。
イェルサレムにおけるユダヤ人迫害後にアンティオコス4世が陣中で死去し、神殿がユダヤ人によって奪還され清められたことを祝して「ハヌカー祭」が始まり、現代までユダヤ教の重要な祭祀として引き継がれた。暴君エピファネスの所業はユダヤ人の受難の歴史として旧約聖書にも記載されている。
コイン全体に出土時の砂漠の砂が付着しており、2000年を超える時の流れが感じられる。手にしたときのずっしりとした重みは、聖書の時代から変わらない存在価値を現代にまで伝えている。
※ティアラ・インターナショナル株式会社発行の『コイン保証書』付属