テオドシウス朝時代のローマ帝国で発行されたソリダス金貨は、およそ4gの薄い金貨ですが品位は高く、交易や兵士への給与として広く流通していました。この金貨は磨耗や傷がほとんど見られず、皇帝の正面胸像の細部までしっかりと確認できます。
表面には西ローマ帝国の初代皇帝
ホノリウス(在位:AD395年~AD423年)の正面像が打ち出されています。兜を被った皇帝は槍と盾を手にし、勇ましい戦士として表現されています。
父帝テオドシウスが崩御した際、ローマ帝国は東西に分割され、長男アルカディウスは東半分を、次男ホノリウスは西半分を継承しました。兄弟による帝国の分割統治は広大な領域を治める上で効率的と考えられ、事実上の共同統治と目されていましたが、この後ローマ帝国が再び統一されることはなく、帝国滅亡へ向かう大きな分岐点となりました。
『西ローマ皇帝 ホノリウス』 (ジャン=ポール・ローランス, 1880)
10歳で西ローマ帝国の統治権を与えられたホノリウスはメディオラヌム(現在のミラノ)に拠点を置き、廷臣に囲まれて生活しましたが、各地で反乱・離反が相次ぎ、その統治は極めて不安定でした。後見人である義父スティリコの活躍により軍事面では優位を保っていましたが、奸臣の提言を容れたホノリウスによって逮捕・処刑されました。
以降、ホノリウス帝の暗愚さが際立つようになり、蛮族による侵入や都市の離反にもまもとに対応できなくなってゆきました。宮廷は防衛上安全なアドリア海沿岸の都市ラヴェンナに移され、治世の大半をホノリウス帝はラヴェンナで過ごしました。帝国が危機的な状況にある中で、宮廷に引き篭もったホノリウス帝はお気に入りの廷臣たちやペットの鳥達に囲まれながら暮らし、外の情勢とは対照的な生活に浸り続けました。
ラヴェンナ宮廷でのホノリウス帝 (ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス, 1883)
ホノリウス帝は飼っているニワトリに「ローマ」と名付けて可愛がっていたとされ、410年に都市ローマが西ゴート族によって侵攻・略奪された際、報告を受けたホノリウス帝はニワトリの「ローマ」と混同したと伝えられています。信憑性の乏しい逸話ですが、ローマ帝国を滅亡に導いたホノリウス帝の暗愚さを象徴するエピソードとして語り継がれています。
この金貨は東ローマ帝国の宮廷が置かれていたコンスタンティノポリスで造られました。同じく兄アルカディウスの金貨も西ローマの各都市で造られており、この時代には東西ローマ帝国が完全に分裂したわけではなく、形式上は兄弟が分担して帝国を統治していると認識されていたことが分かります。
古代ローマ帝国の末期に造られた歴史的金貨。美しい状態で残された、貴重な古代ローマの遺産です。