• コンモドゥス帝/サルース女神
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 コンモドゥス帝(在位:AD180年~AD192年)はマルクス・アウレリウス帝の息子として帝位を継承しました。
 しかし哲人皇帝と呼ばれ、五賢帝の一人として誉れ高かった父帝とは異なり、コンモドゥスは誇大妄想の強い危険な君主でした。彼は剣闘士に強い憧れを抱き、自らを「ローマのヘラクレス」と称して剣闘士試合にも出場しました。
また帝都ローマを「コロニア・コンモディアナ(コンモドゥスの都の意)」と改称し、1年の月の名称を全て自らが決めた月名に変えるよう命じたと伝えられます。

 あまりにも父帝と性格の異なるこの暴君は、皇妃ファウスティナと剣闘士との不義密通によって生まれた子、とも噂されました。しかしマルクス・アウレリウス帝は存命中からこの息子の将来に期待し、名目上の「共同統治帝」に格上げしたほどでした。死の床にある時にも側近や臣下に対して、息子コンモドゥスを助けるように伝えたと云われます。

 ところが帝位に就いたコンモドゥスは、従来以上に奇行を目立たせるようになり、政治に対しても無関心であり続けました。結果的にコンモドゥス帝は元老院に離反され、愛人と近衛兵の手によって暗殺され壮絶な最期を遂げました。

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              ヘラクレス風のコンモドゥス帝 (カピトリーノ美術館)


 

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