- ササン朝ペルシア ドラクマ銀貨 ホスロー2世/拝火祭壇
商品説明
7世紀のササン朝ペルシアで発行されたドラクマ銀貨。メディア地方南部の都市ガイで造られました。
表面には翼や新月、太陽が組み合わされた装飾冠を戴くホスロー2世の胸像が打ち出されています。ホスロー2世はビザンツ(東ローマ)帝国へ侵攻し、アラビアやパレスチナ、エジプト、シリア、ロードス島から小アジアに至る広大な地域を占領、一時は帝都コンスタンティノポリスをも包囲した武人王として知られています。ホスロー2世はアルメニアの美しき王女シーリーンを王妃として迎えたことで、後に中世ペルシアの恋愛叙事詩『ホスローとシーリーン』のモデルにもなりました。
ササン朝時代のドラクマ銀貨は高品位の大型銀貨であったことから、中央アジアやアラビアではシルクロード交易の主要な決済手段として用いられました。世界的に知られるイスラームの説話集『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』に記されたホスローとシーリーンの物語にも、同上のホスロー2世のドラクマ銀貨が登場します。この物語自体の信憑性は乏しいですが、このドラクマ銀貨が中世のアラビアでも広く流通していたことが分かります。
『千夜一夜物語』第391夜には以下のような物語が語られました。
あるとき、ホスロー2世のもとに漁師が訪ねてきて見事な魚を献上しました。魚が好物だったホスロー2世はこの漁師に褒美として4000ドラクマを与えることにしました。すると王妃シーリーンはそれは高すぎると苦言を呈し、漁師にこの魚は雄か雌か尋ねるよう進言しました。もし雄ならば雌が欲しかった、雌ならば雄が良かったと文句をつけ、褒美を取り消させようとしたのです。しかしそのことに気付いた漁師は機転をきかせ、献上した魚は両性具有の珍しい魚だと答えます。ホスローはさらに4000ドラクマをこの漁師に与えることにしました。
漁師が王から受け取った合計8000枚ものドラクマ銀貨を持って帰ろうとした際、一枚のコインを落としてしまい、それを拾いに戻りました。するとシーリーンは、それは本来であればそのまま見逃しておき、貧しい人へ施すべきではなかったかと咎めました。そこでまたしてもこの漁師は機転をきかせ、ドラクマ銀貨には王様の肖像が刻印されているから、地面に落としたままにしておくわけにはいかなかったのだと答えました。感心したホスローはこの漁師にさらに4000ドラクマを下賜し、結果的に漁師は大金を得たということです。