• カリグラ帝/アグリッピナ
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 ローマ帝国第三代皇帝カリグラ(カリギュラ)の治世下に発行されたテトラドラクマ銀貨。このコインは、フランスの貨幣学者マイケル・プリュール(1955-2014)が所有していたものであり、同氏がまとめた東方属州コインのカタログ『The Syro-Phoenician Tetradrachms and their fractions from 57 BC to AD 258』に掲載されている現品です。


 表面には月桂冠を戴く若き皇帝カリグラの横顔肖像が打ち出されています。アウグストゥスによく似た姿に見えますが、鬱屈とした表情が印象的です。

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                  若きカリグラ像と皇帝カリグラ像


 カリグラ帝(在位:AD37年~AD41年)は、第二代皇帝 ティベリウスの後継者となった若き皇帝であり、即位時は24歳でした。なお「カリグラ」とは正式な名ではなく、幼少時代に履いていた「小さな軍靴」を意味する渾名です。しかし本人はその渾名を気に入っておらず、皇帝即位後はカリグラの名を口にした者を罰していたとされます。

 即位当初のカリグラはローマ市民を喜ばせるための催し物を開いたり、ティベリウス帝時代の政治犯に恩赦を与えるなどの施策を行い、人気を集めました。ローマ市民も暗君とみていた老帝ティベリウスの長い時代がようやく終わり、美しく気前の良い、若々しい皇帝の登場に期待を新たにしていました。しかし治世開始すぐに大病に倒れ、生死の境を彷徨った末に回復した後から、カリグラの言動や性格に異常が見られるようになったと云われます。

 自らを神として崇めるよう命じ、壮大な建築物や催し物を次々と行うようになります。また自身に反発する元老院議員や富豪を粛清してその資産を奪うなどの残忍な面も顕わになり、やがて政治にも関心を示さなくなりました。アウグストゥス帝、ティベリウス帝の時代に蓄財された帝国資産は、彼の短い治世の間にその多くが浪費され、ローマの財政を圧迫しました。
 AD41年にカリグラ帝は親衛隊によって暗殺され、わずか4年の治世に幕を下ろしました。彼はローマ帝国史上初めて暗殺された皇帝として名を刻みました。

 ユリウス=クラウディウス朝時代の皇帝は悪評が多く、ネロ帝は暴君の代表格にように語られますが、伝えられている実績や奇行、狂気、放蕩、残虐性ではカリグラの方が遥かに上回るでしょう。数多くの逸話は後世に誇張されたものも多くありますが、在世中のカリグラが人格的に正常ではなかったという点は定説になっています。


 カリグラは近親相姦の噂が流れるほど近親、一族への執着が強い人物でした。彼の短い治世中に発行されたコインにはカリグラ本人だけでなく、曽祖父アウグストゥスや祖父アグリッパ、父親のゲルマニクスの姿が表現されました。
 このコインの裏面には、自らの母親である大アグリッピナが表現されています。同時期にローマ本国で発行されていたコインを参考にしてデザインされたとみられます。


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                  『ゲルマニクスと大アグリッピナ』
                (ピーテル・パウル・ルーベンス, 1614年)


 大アグリッピナ(BC14-AD33)はアグリッパとアウグストゥス帝の娘ユリアの間に生まれ、ユリウス朝の皇女として育てられました。ゲルマニクスと結婚後、二人の間に生まれた子がカリグラと小アグリッピナ(ネロ帝の母親)です。

 アウグストゥス帝亡き後に二代皇帝となったティベリウスとは対立を深め、反逆の嫌疑をかけられて追放され、流刑先のパンダテリア島で亡くなりました。この時、カリグラは母親から引き離され、ティベリウス帝の近くで育てられました。
 ティベリウス帝の後を継いだカリグラ帝は、不遇の中で亡くなった母親の名誉を回復するよう努めました。その証として、自らが発行するコインにも亡き母親の姿を刻ませたのでした。

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                母親の遺灰を先祖の墓に安置するカリグラ帝
                 (ウスタシュ・ル・シュウール, 1647年)


 

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