3世紀初頭の古代ローマ帝国、シリア属州(セレウキア・ピエリア)で発行された小さな銅貨。かつて、同地域の交易拠点として栄えた港湾都市 ラオディケイアで造られました。19mm、5.7gの小さなこの銅貨は、当時のラオディケイアで暮らしていた一般市民の間で流通したものとみられています。その大きさや材質から小額銅貨だったとみられ、一枚あたりの購買力は大きくなかったと思われますが、日々の暮らしで広く用いられ、市民の生活に溶け込んだコインだったと想像できます。ラオディケイアで造られたこの小さなコインから、古代ローマ帝国の東方属州の一都市に生きた人々の生活を垣間見ることができます。
裏面には
レスリングの風景が表現されています。二人のレスラーは共に武器を投げ捨て、手を組んで格闘しようとしています。レスリングが表現されたコインは古代ギリシャのアスペンドスで造られたものがよく知られていますが、ローマ時代に発行されたコインにおいては大変珍しい例です。
このレスラー達はそれぞれの武器から、左側が
ヘラクレス、右側が
ディオニソスだとみられています。古代ギリシャ神話の神々が人間のように格闘する、ユーモアにあふれた意匠です。
表面には光の冠を戴く
エラガバルス帝 (ヘリオガバルス帝 在位:AD218年~AD222年)の若き胸像が打ち出されています。「エラガバルス」や「ヘリオガバルス」という名は、シリアの司祭長であった皇帝が信仰していた東方の太陽神に由来する渾名です。実際には偉大なる五賢帝にあやかって「マルクス・アウレリウス・アントニヌス・ピウス帝」と名乗っていました。
わずか14歳で即位した少年皇帝は、その恭しい帝号に反して艶聞が多く、派手と贅沢を愛した人物として記録されています。ローマの宮廷では豪華な宴会が頻繁に催され、妖しげな男女が出入りするようになりました。ある時には趣向として高級なバラの花を大量に宴会場にばら撒き、出席者を圧死させたという伝説まで生まれました。
エラガバルス帝の短い治世下、ローマにはありとあらゆる性的趣向や悪癖がはびこり、風紀は大いに乱れたと云われています。またこの少年皇帝には女装趣味があるだけでなく、医師に相談して性転換の方法を検討させていたとも伝えられています。「卑しき身分の男性を自らの『夫』にしていた」「自ら娼婦としてローマ市内の娼館に通っていた」など、真偽も判然としない噂は多く記録されていますが、少なくともこの少年皇帝に対するローマ市民の評価が、当時から相当に低かったことは間違いないようです。