ローマ帝国第三代皇帝 カリグラ(カリギュラ)の治世中に発行されたアス銅貨。治世初期に発行されたこの一枚は、若き暴君の肖像を今に伝えています。コインに表現された公式の肖像としては鬱屈した表情が印象的です。その周囲部には
「C CAESAR AVG GERMANICVS PON M TR POT (ガイウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス 大神祇官にして護民官特権の保持者)」の銘が刻まれています。
若きカリグラ像と皇帝カリグラ像 カリグラ帝(在位:AD37年~AD41年)は、第二代皇帝 ティベリウスの後継者となった若き皇帝であり、即位時は24歳でした。なお
「カリグラ」とは正式な名ではなく、幼少時代に履いていた「小さな軍靴」を意味する渾名です。しかし本人はその渾名を気に入っておらず、皇帝即位後はカリグラの名を口にした者を罰していたとされます。
即位当初のカリグラはローマ市民を喜ばせるための催し物を開いたり、ティベリウス帝時代の政治犯に恩赦を与えるなどの施策を行い、人気を集めました。ローマ市民も暗君とみていた老帝ティベリウスの長い時代がようやく終わり、美しく気前の良い、若々しい皇帝の登場に期待を新たにしていました。しかし治世開始すぐに大病に倒れ、生死の境を彷徨った末に回復した後から、カリグラの言動や性格に異常が見られるようになったと云われます。
自らを神として崇めるよう命じ、壮大な建築物や催し物を次々と行うようになります。また自身に反発する元老院議員や富豪を粛清してその資産を奪うなどの残忍な面も顕わになり、やがて政治にも関心を示さなくなりました。アウグストゥス帝、ティベリウス帝の時代に蓄財された帝国資産は、彼の短い治世の間にその多くが浪費され、ローマの財政を圧迫しました。
AD41年にカリグラ帝は親衛隊によって暗殺され、わずか4年の治世に幕を下ろしました。彼はローマ帝国史上初めて暗殺された皇帝として名を刻みました。
ユリウス=クラウディウス朝時代の皇帝は悪評が多く、ネロ帝は暴君の代表格にように語られますが、伝えられている実績や奇行、狂気、放蕩、残虐性ではカリグラの方が遥かに上回るでしょう。数多くの逸話は後世に誇張されたものも多くありますが、在世中のカリグラが人格的に正常ではなかったという点は定説になっています。
このアス銅貨の裏面には、竃の守護女神
ウェスタが表現されています。杯を持ち、ヴェールを被った女神の上部にはウェスタの名銘
「VESTA」の文字が配されています。さらに左右には、元老院の権限によって発行されたことを示す大きな「
S C (Senatus Consulto)」銘が配されています。
ウェスタは竃の守護女神から転じて家庭の守護神となり、古くからローマ人に信仰されてきた女神です。そして国家を大きな家族と捉えたローマ人によって「ローマ国家の守護女神」と認識され、ローマの中心部 フォルム・ロマヌムにはウェスタの神殿が建立されていました。
ウェスタ女神のイメージ (18世紀、アンジェリカ・カウフマン作)
ウェスタ神殿に据えられた「不滅の聖火」は、貞潔を重んじる処女の巫女たちによって大切に護られていました。ウェスタ女神のヴェールは貞潔さと厳粛さを象徴しています。欲望と狂気にかられ、放蕩と快楽の醜聞が絶えなかったカリグラ帝の治世に発行されたコインとしては、非常に皮肉なモティーフです。
カリグラ帝の時代に造られたコインは種類が少なく、放漫財政だったためか金貨や銀貨はほとんど発行されなかった可能性もあります。また、暗殺後には暴君として様々な記録等が抹消 (=公文書記録からの削除、彫像の打ち壊し等) されたため、コインもその対象になったとみられています。そのためカリグラ帝のコインは総じて貴重とされ、状態が良いものは特に希少です。