【アウステルリッツの三帝会戦 勝利記念大型メダル】 メダル表面にはフランス皇帝
ナポレオン1世(在位:1804年~1814年)の横顔肖像と「
BATAILLE D'AUSTERLITZ (アウステルリッツの戦い)」銘が表現されています。この下部にはローマ数字表記による「II. DECEMBRE MDCCCV. (1805年12月2日)」銘が小さく刻まれています。
裏面にはロシア皇帝
アレクサンドル1世(在位:1801年~1825年)と、神聖ローマ皇帝
フランツ2世(在位:1792年~1806年)が向かい合う肖像で表現されています。左端には「ALEXANDRE I」銘、右端には「FRANCOIS II」銘が刻まれています。
両面、三人の皇帝像は公式肖像画を基にした写実的な顔つきであり、彫刻のような立体感と細かさが魅力的です。
1805年12月2日、ナポレオン率いるフランス軍は、モラヴィア地方のアウステルリッツ近郊でロシア・オーストリア連合軍と一大会戦を行いました。このときロシア、オーストリア両軍も皇帝自らが軍を率いて戦場に布陣していたことから、
「アウステルリッツの三帝会戦」とも呼ばれています。
アウステルリッツの戦い (フランソワ・ジェラール、1810年)
フランス軍は数で劣っていたにもかかわらず、地の利と天候を生かしたナポレオンの巧みな戦術によりロシア・オーストリア連合軍を打ち破りました。フランス軍の死傷者がおよそ8,200人だったのに対して、ロシア軍とオーストリア軍の死傷者は合計で15,000人、捕虜は20,000人にのぼり、いかにフランス軍の大勝だったかが分かります。
会戦はわずか半日で終了しましたが、ヨーロッパ大陸の三大帝国の皇帝が会した戦いであったこと、またナポレオンの戴冠式一周年の記念すべき日に行われたことから、フランス史にとって華々しい戦果として記録されています。
フランツ2世とナポレオン1世の会見 (アントワーヌ=ジャン・グロ、1812年)
この戦いによってオーストリアは権威を失墜させ、ナポレオンのフランスがヨーロッパ大陸の覇権を握ることになりました。また、オーストリアの敗北をみたドイツの諸侯、領邦はフランスとの同盟を選択します。結果およそ1000年続いた「神聖ローマ帝国」は完全に消滅し、世界史上の重要な転換点となったのでした。
この戦いは、歴戦のナポレオンにとっても最も輝かしい大戦果として記憶され、参加した兵士一人につき200フラン(ナポレオン20フラン金貨にして10枚)の恩賞金を下賜したと云われています。ナポレオンはこの戦いを絵画やこうしたメダルなどの芸術品に表現することで、自らの戦果を誇示し、フランス国民を熱狂させたのでした。ただし会戦自体は1805年12月に行われたことから、このメダルは翌年1806年以降に製作されたものとみられます。
19世紀初頭、最盛期のナポレオン時代を象徴する、美しい大型ブロンズメダル。200年前に造られた、世界史的にも大変貴重な芸術品です。