7世紀半ばのビザンチン(東ローマ)帝国で発行されたソリダス金貨。当時のソリダス金貨は、薄手ですがほぼ純金で造られており、品位や重さも一定していたことから交易用に多く用いられました。柔かい金を薄く打ち出している為、特に肖像などが磨耗しやすく、細部まで残されているものは希少です。
表面には
コンスタンス2世(在位:641年~668年)と、息子で共同統治帝
コンスタンティノス4世(在位:654年~685年)の正面像が打ち出されています。父コンスタンス2世は「ポゴナトス(顎髯王)」という渾名を付けられましたが、その異名もこの肖像を見れば一目瞭然です。
裏面には祭壇十字架(アークエンジェルクロス)を挟んでコンスタンスの二人の息子、
ヘラクリオスと
ティベリオスの立像が表現されています。十字架の下部に刻まれた
「CONOB」銘は「CONSTANTINOPOLIS OBRYZA (コンスタンティノポリスの純金)」の省略銘であり、帝都コンスタンティノポリスの造幣所で造られたことを示しています。
一枚の金貨の両面に、親子四人の姿が表現された、極めて興味深いコインです。
コンスタンス2世は新興のイスラーム教勢力との戦いを指揮し、ビザンチンの防衛と勢力維持に尽力した皇帝です。彼は北アフリカから攻め寄せるイスラーム軍との戦いの最前線をシチリア島と見定め、その中心都市シラクサに自らの宮廷を移しました。コンスタンティノポリスからシラクサへの遷都を構想したコンスタンス2世は、その過程で敵対する人々を厳しく弾圧したことから反発を招き、最期は入浴中に侍従によって撲殺されました。後継者であるコンスタンティノス4世はまだ幼く、側近達によって政治が行われました。これによってシラクサへの遷都計画は頓挫し、帝都は元のコンスタンティノポリスへ戻されたのです。
コンスタンティノス4世もイスラーム軍との戦いに尽力し、危機状況にありながら何とかコンスタンティノポリスを防衛することに成功します。皇帝自らが艦隊を率いた海上戦では、秘密兵器「ギリシアの火」が登場し、ビザンチン軍を勝利に導きました。
ギリシアの火 なお、コイン裏面に刻まれた二人の弟たちはコンスタンティノス4世によって共同統治帝に格上げされていました。しかし息子への皇位継承を望むコンスタンティノス4世は、681年に二人の弟を廃位し、鼻を削ぎ落として追放したと伝えられています。