2世紀半ば、アントニヌス朝時代の古代ローマ帝国で発行された銅貨。このコインはシリア属州都市ラオディケイアで発行されました。
表面には、五賢帝の一人として名高い
マルクス・アウレリウス帝(在位:AD161年~AD180年)、裏面には義理の弟で共同統治帝だった
ルキウス・ウェルス帝(在位:AD161年~AD169年)の肖像が打ち出されています。
美男子として評判だった二人はよく似た容姿ですが、血の繋がった兄弟ではなく、性格も正反対だったようです。
後世から「哲人皇帝」として知られるマルクス・アウレリウスは、その著書『自省録』でも綴られている様にとても思慮深く、禁欲的で物静かな性格でした。一方、ルキウス・ウェルスは享楽的で酒や女遊びを好み、仲間と羽目を外すことが多い人物だったと云われています。
マルクス・アウレリウス帝 & ルキウス・ウェルス帝 ルキウス・ウェルスの父ケイオニウスは、ハドリアヌス帝から後継者に指名されていましたが、病気のため即位する前に没しました。ルキウス・ウェルスはマルクス・アウレリウスと共にアントニヌス・ピウス帝の養子となり、将来的な後継者と目されました。
アントニヌス・ピウス帝が崩御し、マルクス・アウレリウスが新皇帝として即位する際、マルクスは義弟のルキウスを「共同統治帝」として共に即位できるよう、元老院に要請しました。皇帝が同時に二人並立することは前例が無く、全く異例のことでしたが、マルクスはルキウスに外征・軍事面を任せ、自らは内政に集中することで巨大なローマ帝国を効率的に統治しようと考えたようです。
二人の兄弟皇帝は性格的には合致しない面がありましたが、ルキウスは兄マルクスの指示に従って補佐し、マルクスも弟ルキウスの振る舞いを大目に見たと云われています。
この兄弟皇帝が揃ってコインに表現される例はいくつか見られますが、本国ローマで発行されたものよりも、むしろ東方属州で発行された青銅貨に多く見られます。ルキウスがパルティア、アルメニア遠征に伴いシリア属州に長く滞在したことも関係しているでしょう。ローマ帝国の歴史を彩る興味深いコインです。