紀元前4世紀の小アジア西部、カリア地方で造られたテトラドラクマ銀貨。アケメネス朝ペルシアの宗主下、カリアを治めた太守
マウソロスによって発行されました。
表面には
アポロ神の正面像が打ち出されています。立体的なアポロ神の肖像は、美男神にふさわしく、美しい彫刻のような仕上がりです。
頭部には、アポロ神の象徴である月桂樹のリースを戴いています。
裏面には、アポロ神の父とされた
大神ゼウスの立像が表現されています。王笏と斧を持った大神の右側には、
発行者マウソロスの名を示す「ΜΑΥΣΣΩΛΛΟ」銘が刻まれています。
通常、古代よりコインの肖像は正面像よりも横顔が一般的でした。正面像にした場合、最も盛り上がっている「鼻」を中心に、どんどんと磨耗が進んでしまうからです。
実用性を考えた場合、コインの肖像は横顔がスタンダードですが、古代ギリシャでは逆に芸術性を優先し、彫刻そのままに正面像を採用している場合がみられます。特に厚みがある古代ギリシャコインでは立体感があり、古代ギリシャ彫刻のようなコインも多く作られましたが、やはり自然磨耗は避けられません。このコインの場合、磨耗はほとんど無く、アポロ神の鼻も完全に近い状態で残されています。
マウソロスは港湾都市ハリカルナッソスを拠点とし、自らの勢力をエーゲ海域の島嶼部に拡大させました。太守としての地位はアケメネス朝から認められたものでしたが、ギリシャでの戦争に介入してコス島やロードス島、キオス島などを勢力圏内に置いたマウソロスは、事実上独立国の王として振る舞いました。またギリシャ文化に強い関心を示し、ハリカルナッソスに自らを葬る大霊廟を建設させたことでも知られます。
マウソロスの霊廟 (後世の想像図) ギリシャから招聘した優れた建築家や彫刻家によって建立された霊廟の美しさ、壮麗さは地中海に広く知られ渡り、その名声から「世界七不思議」のひとつにも数えられました。それから1800年近くにわたって霊廟は丘の上からハリカルナッソスの街を見守っていましたが、15世紀に十字軍がこの地を征服すると、新たな要塞を建設するための資材として撤去され、その姿は完全に失われてしまいました。
マウソロスの妹妃 アルテミシア (1630年頃, フランチェスコ・フリーニの作品)
紀元前353年、霊廟の完成を見ないままマウソロスが没すると、妹であり妃だったアルテミシアがカリアの統治権を継承します。彼女はマウソロスの偉業を称えるため霊廟の建立を引き継ぎ、富を惜しみなくつぎ込んで豪華なものにしたと云われています。後にアルテミシアが没するとマウソロスと同じく霊廟に葬られましたが、最終的に完成したのはそれより後だったと考えられています。