アレキサンダー大王 コイン

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紀元前4世紀、ギリシャ北部に位置した古代マケドニア王国は、フィリッポス2世(在位:BC359年~BC336年)の治世下で勢力を拡大させ、ギリシャ本土の諸都市を影響下に置きました。

フィリッポス2世の跡を継ぎ、王国をさらに拡大させたのが、世界史上特に名を知られた征服者 アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世 在位:BC336年~BC323年)です。

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わずか20歳の若さで即位したアレキサンダーは「世界の征服」という果てしない野望を抱き、プトレマイオスやリシマコス、アンティゴノスなどの忠臣たちとともに東方遠征へ出発します。

長年ギリシャの脅威であったアケメネス朝ペルシアへ侵攻し、わずかな期間に小アジア、シリア、エジプトなどを征服。ついに紀元前330年にはアケメネス朝を滅ぼしました。

その間、強大なペルシア軍と戦いながらも、征服した地にギリシャ文化を根付かせる種を蒔き続けました。

ギリシャ人あるいはマケドニア人の兵士を定住させるために、大王の名前を関した新都市「アレクサンドリア」を各地に建設させ、そこを拠点として自らの帝国を作り上げようと試みました。
現在でもエジプトの都市アレクサンドリアは、重要な貿易・商業都市として知られます。
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しかしペルシアを倒しても大王の進撃は止らず、わずか4年後にはインダス河の流域にまで進軍しています。

インド遠征は兵士達の疲労と不満によって途中で引き揚げることになりますが、その途上で多くのギリシャ人植民都市を建設し、兵士達と現地女性との結婚を奨励するなど 文化的な功績も残しています。
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大王はインド遠征から戻った後、次はアラビア半島への遠征を計画していましたが、メソポタミア地方の古代都市バビロンに滞在中にマラリアによる熱病に倒れ、32歳の若さで病死しました。

彼のマケドニア王としての治世はわずか12年でしたが、その間、王国の版図はギリシャ~インドにまで拡大しました。

大王の伝説的な生涯や言行は、征服した各地で逸話や神話として残され、永く伝承や物語の中で生き続けています。
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アレキサンダー大王の偉業を今に伝えるものが、征服地だった各地で出土した高品質のコインです。
大王は自らが世界を統一した後は、帝国内での交易をより盛んにし、人とモノ、そして文化の交流を活発化させることが必要と考えていました。そこで大王は、アテネで発行され、ギリシャ世界で広く流通していた「アッティカ貨幣」(4ドラクマ=約17g前後)を通貨の基準として採用し、征服した諸都市で造幣、使用させたのです。

マケドニア軍が占領したトラキアの銀山から採れる大量の銀は、交易決済に多く用いられていた「テトラドラクマ銀貨(=4ドラクマ)」の大量生産を助けました。

大王はテトラドラクマ銀貨を中心とする各種銀貨に、共通のデザインを刻ませました。
それは、表面にライオンの毛皮を被った英雄ヘラクレス、裏面にはゼウス神の坐像と自らの名銘「ΑΛΕΞΑΝΔΡΟΥ」です。
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この表面に刻まれた若きヘラクレス像は、アレキサンダー大王自身をモデルにしていると考えられています。

当時、ギリシャ世界ではペルシアのような専制君主国家を低く見ており、基本的に民主政が主流でした。
そのためコインには存命中の人物を表現せず、神々の姿を刻むことが一般的だったのです。

そこでアレキサンダーは自らの先祖と考えていた神話上の英雄ヘラクレスを刻ませ、その肖像を自分の姿に模して造らせたのだと考えられています。

通称「アレキサンダーコイン」と呼ばれるこの銀貨は、征服した各地域の主要都市で造られ、非常に高い品質の銀貨として受け入れられました。

大王が亡くなった後も共通通貨としての信用は生き続け、地中海地域を中心に長く発行され続けていました。
大王の東方遠征~ローマによる地中海統一に至るまでのヘレニズム時代、「アレキサンダーコイン」は最もポピュラーなコインとして認識されていました。人類の歴史において、一つの時代を象徴するコインといえるでしょう。
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マケドニア王国
(地域:マケドニア本土~メソポタミア)

リシマコス
(地域:トラキア、マケドニア南部、小アジア西部)

セレウコス
(地域:シリア、メソポタミアなど)

プトレマイオス
(地域:アレクサンドリア、メンフィスなどのエジプト本土、フェニキア~キプロス島など)

ドラクマ銀貨


その他
(地域:マケドニア、小アジア、トラキア、地中海沿岸都市、ヘレニズム諸王朝など)