
商品番号:205051
- 発行国:
- 古代ギリシャ
- 地方名:
- シリア
- 都 市:
- アンティオキア
- 発行年:
- BC36
- 額 面:
- テトラドラクマ
- 金 性:
- AR (Silver)
- 表図柄:
- クレオパトラ7世
- 裏図柄:
- マルクス・アントニウス
- サイズ:
- 25.5mm×28mm
- 重 量:
- 14.55g
- 状 態:
- VF-
古代エジプト最後のファラオ、クレオパトラ7世女王と、ローマの名将マルクス・アントニウスの姿を刻んだ貴重なテトラドラクマ銀貨。このコインは、クレオパトラとアントニウスが支配したシリア最大の都市 アンティオキアで造られました。尚、テトラドラクマは「4ドラクマ」を意味し、当時としては高額な銀貨の一つでした。
クレオパトラとアントニウスの物語は、古代ギリシャ・ローマ史を彩る最大のロマンスとして世界的に知られています。紀元前1世紀、地中海世界はローマによってほぼ統一されていましたが、豊かな富とナイル川の沃土を持つエジプトは、ローマの影響下に置かれながらも一応の独立を維持していました。そのような状況下、エジプト最後のファラオとなったクレオパトラ7世は、ローマの最有力者を取り込み利用することで、エジプト王国の存続を図り、東地中海を支配下に置こうとしました。
クレオパトラ7世(BC69年~BC30年)はプトレマイオス朝エジプトの王女であり、ギリシャ語、ラテン語、エジプト語など多言語を理解する才女だったとされています。特に後世の歴史家や劇作家が欠かさず記したのは、彼女が「類稀な美貌の持ち主」だったという点です。この美貌と話術によってクレオパトラはカエサルやアントニウスといったローマの大英雄たちを虜にしたと伝えられてきました。
ナイル川のクレオパトラ
しかしクレオパトラの真の姿は、未だかつて判然としていません。クレオパトラが暮らしたアレクサンドリアの王宮や、彼女の遺体が納められたという霊廟は、後世の大地震によって海の底に沈んでしまったからです。その為、彼女の遺骨はおろか、完全な形で残された彫像すら発見されていません。多くの作家はあいまいな伝聞を基にして、彫刻や絵画、または映画など、数々のクレオパトラのイメージを表現しましたが、それらもあくまで想像の産物に過ぎません。実際のクレオパトラは妖艶な雰囲気を持った絶世の美女だったのか、それとも王朝の行く末を案ずる聡明さ溢れた賢女だったのか、今となっては判然としないのです。
それでも、カエサルやアントニウスとの有名なロマンスや、その後、彼らが辿った悲劇的な最期までの物語は、時代を超えて脈々と語り継がれ、2000年以上を経た現在でも人々の心を揺さぶっているのです。
クレオパトラが生きていた時代に造られたものの中で、彼女の姿を忠実に表現しているものの一つが「コイン」です。当時のコインは支配者の姿を民衆に知らしめるため、本人の姿に似せて表現していると考えられています。
このテトラドラクマ銀貨は、BC36年にシリアのアンティオキアで造られました。その年、マルクス・アントニウスは東方の大国パルティアへ遠征するためローマを発ち、途中アンティオキアでクレオパトラと再会したことが記録に残されています。この時、クレオパトラはアントニウスとの間に生まれた子供を連れて来ています。出発までの短い間、親子での一時を過ごしたのかも知れません。一説では、二人はこのアンティオキア滞在中に結婚したのでないか、とも云われています。
このコインは東方世界の支配者たる二人の姿を刻むと共に、コインの表と裏で、二人の愛を表現しているとも言えるでしょう。
その後、アントニウスはローマのオクタヴィアヌスによって糾弾され、ローマとアントニウス軍&エジプトは戦争に突入します。その結末はアントニウス軍の敗北と二人の自決、そしてプトレマイオス朝エジプトの滅亡という悲劇的なものでした。
アントニウスとクレオパトラの最期
クレオパトラのドラマティックな生涯は、古代より幾多の作品によって語り継がれ、美化もしくは誇張もされてきました。その姿も人々の想像を掻き立て、その存在自体も空想の中のものになりつつあります。しかし、まだクレオパトラがこの世に確かに生きていた頃、発行されたコインには彼女の在りし日の姿がはっきりと刻まれているのです。